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映画「桜色の風が咲く」放映 & 活動報告

映画「桜色の風が咲く」(監督/松本准平)
1月3日(水) 14時〜 NHK Eテレにて放映

桜色の風が咲く ポスター

映画『桜色の風が咲く』公式サイト
https://gaga.ne.jp/sakurairo/

 

5年前、企画・制作協力で参加した映画、
「パーフェクト・レボリューション」が
東大駒場キャンパスにて上映された際、
アフタートークに出演する松本准平監督と
原案者の熊篠慶彦に付き添って駒場を訪問。

 

上映前、東大先端研教授の福島智先生に
3人でご挨拶をさせて頂きました。
全盲ろうながらも教鞭をとる福島先生から、
「あなたの演じた役は、心の奥底は暗いのに
敢えて明るい調子で演じられていましたね」
という感想を頂戴し、痛く感激しました。

 

「あの沈んだ空気を変えようと知恵を絞る、
主人公・クマの従兄弟・二郎の複雑な感情を
軽く明るめな台詞で表現しました」
と話した途端、先生は我が意を得たりと
いった表情を浮かべて微笑みました。
ところが、先生は演技を目視することも、
軽妙な台詞回しを耳で聴くことさえ叶わず、
意思疎通への疑問符が生じました。

 

その際、先生の傍らにはパートナーの方が
そっと寄り添っておられ、その方の指先から
伝えられる言語外コミニケーションにより、
交流を図る衝撃の事実を知らされました。
パートナーの方が一足先に作品を鑑賞され、
主観を基に脚本の情報や台詞を指点字で伝え、
イメージの中で作品の情感及び登場人物の
個性がより豊かに構築されてゆくのだと、
いち早く直感しました。

 

松本、熊篠の両名ともに同様の体験を経て、
障害に臆せず他者と繋がろうと希求する、
先生の凄まじいコミニュケーション能力の
虜になってしまったのです。
東大を後にした帰路、並んで歩いた松本が、
「福島先生の半生を映画にしたいなぁ…」
と不意に呟き、胸の高鳴りを憶えました。

 

それから3年後「桜色の風が咲く」は完成。
映画とは、出会いの芸術なのでしょう。

 

ebisu suit

 

今年も映画上映やイベントの現場を通して、
様々な方々との交流が叶いました。

 

3月には、LOFT CINEMAが製作した
映画「REVOLUTION+1」が念願の東京公開。
共演女優のイザベル矢野さん、岩崎聡子さん、
前迫莉亜さん、錫木うりさん、TIDAさんとは
様々な舞台挨拶やトークライブでご一緒させて
頂きました。
中でもイザベルさん、岩崎さん、うりさん
とは共通のテーマで複数回、共演致しました。

 

また、東京新聞記者の望月衣塑子さんとは、
神宮外苑の再開発やLGBTQの表現等に関する
トークライブを6月と11月に企画。
綿密な取材に基づく主張を堂々と展開されて、
その歯切れの良さに感服しました。

 

秋には映画「車軸」の宣伝協力として活動。
エレファントハウス & LOFT CINEMA の
コラボレーション企画がプラスワンにて実現。
長期ロケに臨んだ松本の留守を守りつつ、
「車軸」の宣伝に励みました。

 

俳優としては昨年、とても挑発的な映画を
LOFT CINEMA で製作してしまった為、
人知れず、俳優活動はもう無理なのかも
知れないなと思い悩んでいたのですが…

 

日本放送協会の BS時代劇「大富豪同心 3」
への出演やら、Eテレのお正月映画として
「桜色の風が咲く」が選ばれたことには、
なんとも驚かされました。
同時に劇場公開予定作の地方ロケに参加し、
願い通りの配役で出演することが叶い、
無事出演シーンを撮り終えました。

 

更にプラスワン伝家の宝刀とも呼べる、
アウトロー的人物を招いたイベントでは、
LOFT側のセキュリティを担当。
マスコミへの顔出しNGの作家・Z李さん、
Vtuber 懲役太郎さんの登壇は盛況ながらも、
店の内外で盗撮を目的に来店した客との
思わぬトラブルも頻発。

 

この一年間、映画「REVOLUTION+1」の
舞台挨拶や、名古屋・大阪への遠征時には
足立正生監督のセキュリティとして同行。
宮台真司さんがLOFTにて復帰をされた
2月から夏頃までは、楽屋から駐車場への
導線に張り付き警護も担当してきました。

 

上記の流れからリスナーであるYouTuber、
「池袋大関 CH」オーナーの大関真悟さんと
懲役太郎さんの警備を担当して意気投合。
トラブル対応を担った偶然の巡り合わせに、
不思議なご縁を感じております。

 

LOFT創始者で隠居中の平野悠さんとは、
加藤梅造社長と鴨川の別荘を度々訪れては、
暫し交流。このお2方から依頼される仕事の
質量は、その報酬もさることながら、実に
緊張感のあるハードなものばかり。
少しのミスも許されない日々が続きました。

 

そんな中で、海辺の漁村・鴨川の別荘へと
通っては、美味い地酒や魚料理を堪能させて
頂いてはきたのですが、年末に撤退が決定。
機材車に同乗して引越しを手伝い、
「日本ロックの父」である平野悠の拠点が
再び東京都内へと戻って参りました。

 

年内の仕事はまだまだ片付きませんが、
なんとか今年も一区切りつきそうなので、
来年に向けて様々と想いを巡らせつつ、
一息つきたいなぁと考える今日この頃です。

 

みなさま、今年もお世話になりました!